水溜まる雨


 真っ黒な空から雨が降っている。
 昨日は照りつける日差しをかわすので精一杯だったくらいなのに、今日は太陽もすっかり雲隠れしてその面影もない。雲は厚く、その色は暗く、濃く、天球一面を覆い尽くす。時刻は昼を示しているのにも関わらず、辺りは真っ暗な闇が詰め込まれていた。
 風は静かに吹いて、夜の静寂に似た物悲しさを演出する。木々は緩やかになびき、時折その葉を手放す。解き放たれた木の葉は、親の背丈と同じだけの距離を泳ぐと、闇に吸い込まれて消えた。
 雨は鉛のように重く、風なんて意にも介せず鉛直に落下する。地に落ちた滴は、やがて孤独に気化するもの、仲間を見つけ篭城するもの、動植物の血肉となるもの、流れを為し大海原へと駆け出すものと運命を分ける。
 降りしきる雨で付近一帯の蒸気圧は飽和に達し、篭城する彼らは気液平衡の定めに縛られ消えてしまうことでさえ叶わない。その様子は、空間の闇も相まって水銀のよう。
 昨日の熱が留まっているのか、それともただ逃げ場を失っただけなのか、温度計のアルコールもよく熱膨張していた。気温の上昇とともに蒸気圧も上昇し、大気の対流に乗って上空へと昇った一酸化二水素はやがてその熱を失い、周囲の仲間と寄り添って地上へと舞い戻る。

 篭城する彼らのもとに一匹の小鳥がやってきた。彼女は樹の枝に必死にしがみついていたが、やがて力尽き落下した。水面は彼女を受け止めると、その勢いを分散させるために飛沫をあげる。そうして彼らは彼女を仲間に迎え入れるのだ。やがて訪れる別れも知らずに。

 雨はまだ降り続く。
 雨は強弱を繰り返して、時に生物達を突き刺し、時に包み込む。
 梅雨は明けた。そう宣言したのは誰だっただろうか。時計の示度を信じるなら陽は西に傾いているはずだけれども、その様子を確かめることはできない。暗雲立ち込める空模様は、じっとその場に留まり続ける。
 風は時折強まり、誰かの手放した傘を連れてくる。その傘の骨組みは壊れ、張られたビニールも破れてはいるが、倒れた小鳥を守るための手助けにはなり、無いよりはましといったところだ。
 時間の経過とともに河川の奏でる音が激しくなって、氾濫の危険を知らせる。だから、辺りにやってくる子供はいない。――小鳥に助けは、来ない。倒れた小鳥は既に意識無く、その天命も尽きようとしていた。


 再び朝が来る頃、雨は止んだ。
 空にはまだ雲が多分に残るが、降る雨はない。
 水溜まる彼らは小鳥を介抱した。だが彼女を助けることができる者はいなかった。
 雨が止み、青空が姿を見せ始めたことで空気は幾許か乾燥し、気液平衡が崩れる。物理法則にしたがって木々の葉から、路上から、その他あらゆるところから、暗雲より舞い降りた彼らは次第に姿を失う。それは、先程まで降っていた雨を無かったことにするかのように。
 そして彼らは引きこもるのをやめて、空へと旅立ってゆくのだ。






直線創作 index > works > novel > 水溜まる雨